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東京高等裁判所 昭和53年(う)2261号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【説明】

業務上過失致死事件において、事故当時における被害者の挙動につき、原判決が「折柄道路上を右から左に横断中」としたのは事実誤認で、「折からその道路上を歩行していて」としか認定できず、かつ右の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるとされたものである。

事実誤認と判決への影響に関する一般的文献として①の解説(本号一四六頁)に記載したもののほか、類似の事案に関するものとして、福岡高宮崎支判昭29.9.15高裁特報一巻六号二三七頁参照。

【判旨】

そこで、訴訟記録及び各証拠並びに当審における事実取調の結果によつて検討してみると、所論事故当時における被害者の動向を示すものとして、原審の当時においては被告人の検察官に対する供述調書中の自供部分だけが唯一の資料であつたが、当審において、本件の当夜、富士宮駅前を午後六時三〇分に発車し、事故現場に近い上蒲沢を終点とする富士急行定期バス最終便の運転を担当した赤池平八が証人として取り調べられることにより、新たな間接資料が提供されるにいたつた。すなわち、その証言において同人は、伊豆の大地震とどんど焼きの行事があつた本件当日の夜、右定期バスを運転して本件事故発生より約七分前にあたる午後六時五三分ころ上蒲沢停留所に到着し、本件被害者と覚しき老女を含めて一、二名の乗客を全部降車させたが、その乗客を降ろした地点は、自車の進路を基準にして道路の右側に設置された「反転地」と呼ばれる空地の出入口付近であつたというものである。一方、原審において取り調べられた被害者土谷まつ江の子土谷毅の司法警察員に対する供述調書によると、どんど焼きの行われた本件の当夜、被害者は、富士宮市山宮に居住する娘の家を訪ねるため、午後五時四五分ころ毅とともに居宅を出て富士宮駅にいたり、そのあと上蒲沢までバスを利用することにして、同所で毅と別れ、一人で午後六時三〇分富士宮駅前発上蒲沢にいたる富士急行バスに乗車したことが認められる。右赤池平八の証言と土谷毅の供述内容とを対比してみると、双方の日にちが同一であるうえに、バスの発車した時刻、場所及びその行先が一致していることから考えて、被害者が当夜乗車したのは赤池平八の運転した定期バス最終便に相違なく、したがつて、被害者は、そのバスで本件事故発生に近い時刻に事故現場付近の上蒲沢停留所にいたり、右「反転地」の出入口付近、すなわち、司法警察員の昭和五三年一月一五日付実況見分調書(前日午後七時一五分から実施された実況見分の記録)に添付されている交通事故現場見取図(甲)に徴すれば、本件被告人車両の進行方向を基準にして道路の左側でバスを降りたものと認めざるをえないことになる。そして、被害者が当夜訪問を予定していた娘の住家は上蒲沢を通ずる県道の北側にあることが右土谷毅の供述調書中にあらわれており、右県道の北側とは前記実況見分調書添付の見取図と照合すれば、被告人車両の進路左側の地区にあたることが明らかである点からして、前記のように被害者が被告人車両の進路左側の地点でバスを降車したものである以上、その後ことさら車道を横切つてその右側の地区にいたることは、特別の事情がないかぎり考えられないところであり、かかる特別の事情をうかがうに由ない本件においては、被害者が事故の直前被告人車両の進路右側から左側に向かつて車道を横断していたことの可能性は殆ど存在しなかつたという推論が導かれるのである。この点に関連して、前記土谷毅の供述調書中に、被害者がバスを降りてから、その降車地点の道路を挾んで向い側にある店舗で買い物をしたのち、本件事故にあつたのではないかと述べている部分がみられるが、右は、その供述の態様に照らして、被害者が被告人車両の進路右側から左側へ横断したとの想定に立つて想像するところを供述したにすぎないものと思われ、しかも、前記実況見分調書添付の見取図及び当審において取り調べた実測平面図が示しているように、右の店舗が、被告人車両の進路を基準にして本件衝突地点より手前にあり、また、被害者のバス降車地点を基準にして本件衝突地点より遠方にあることからしても、右土谷毅の想像を容れる余地はないものと考えるほかない。かような考察を経たうえで、前記被告人の検察官に対する供述調書中の被害者の挙動に関する供述部分を吟味してみると、単に「前方の道路を右から左に向けて横断していた土谷まつ江というおばあさんの発見が遅れて」あるいは「あたりを右から左に横断していた土谷さんを発見し」とあるだけで、その認識内容の正確性を裏づけるべき根拠が示されているわけでもなく、これを被告人の司法警察員に対する供述調書中の「私がふと前をむきなおしますと、ライトの中に一人の女性がたつていたのです。この人は、どちらからわたつてきたかはわかりませんが、私がみた時は私の車と対面しておりました。」と供述している部分と照らし合わせると、前者において躊躇なく被害者の挙動を供述している点が甚だ唐突にさえ思われるのであつて、結局検察官の面前における右被告人の供述部分は、所論のように取調官の誘導によるものかどうかは暫くおくとしても、その真実性の点において著しく証拠価値の低いものとみなさざるをえない。かくして、本件事故の直前からその当時にかけて被害者がいかなる意図のもとにどのような行動をとつていたものかについては、ついにこれを明確に知り得べき資料を見出だすことはできないのであるが、叙上によつて、少なくとも被告人車両の進路右側から左側へ横断中であつたものと認めがたいことは明らかであつて、この点において原判決が、事故当時の被害者の行動につき被告人車両の進路右側から左側へ横断中であつたと断定している部分は、所論の指摘するとおり事実の認定を誤つているものといわなければならない。

しかしなから、ここで本件過失責任の有無について更に検討を進めてみると、原審において取り調べられた司法警察員の昭和五三年一月一五日付実況見分調書(前日午後八時三五分から実施された実況見分の記録)によれば、夜間、被告人車両の進行を基準にして本件事故現場の手前にさしかかつた車内からその現場付近を見通した場合において、自動車の前照灯を上向きにしたときには67.4メートルを隔てた手前から、また、これを下向きにしたときには52.7メートルを隔てた手前からいずれも本件事故現場付近及びその路上の障害物を認識しうることが実験の結果明らかにされており、したがつて、被告人が原審公判廷で供述するとおり、本件当時自車の前照灯を下向きにして走行していたとしても、前方の注視を怠らなければ、事故現場の手前約五二メートル余を隔てた地点にいたつたさいには、事故現場の付近を見通すこと及びその路上の障害物の存在を発見することができたものと考えて差支えない。そして、当時被告人車両は、関係証拠によつて原判決の判示するとおり約五五キロメートル毎時の速度で進行していたものと認められるので、右見通し可能の地点から事故現場にいたるまでの時間は三秒余、また、右速度に応ずる制動距離が論理法則上31.96メートルとされる(被告人の司法警察員に対する供述調書及び司法警察員の実況見分調書―前日午後七時一五分から実施した実況見分の記録―によれば、当夜は晴天であつたと認められるので、晴天の場合を基準とする。)ことにより、制動による停止可能の地点から事故現場にいたるまでの時間は二秒余ということになり、この推算の結果と、前記司法警察員の実況見分調書(前日午後七時一五分から実施された実況見分の記録)添付の見取図が示すとおり、本件事故現場付近における被告人車両の進行道路は車両通行区分帯の内側から中央線まで約三メートルの幅員があり、本件衝突地点がほぼ右道路の中央線付近であつたこと及び被害者の年令に相当する女性について経験則上考えられる通常の歩行速度とを考え合わせるならば、被告人車両が右見通し可能の地点にいたつたさいに、被害者は被告人車両の進路前方の車道上又はその付近にあり、制動による停止可能の地点にいたつたさいには、その前方の車道上にあつたこともまた容易に推認されるところである。このようにみてくると、被告人は、被害者の移動の方向又はその姿勢のいかんにかかわらず、約五二メートル余を隔てた前方の車道上又はその付近に被害者の存在を認識してその動静を観察することができたものといえると同時に、遅くとも約三二メートルを隔てた制動による停止可能の地点にいたつたさいに、車道上に存在する被害者に対応して直ちに急制動その他応急の措置をとることにより、本件衝突事故の発生は優に防止することができたことになるわけである。

以上のとおり、原判決が本件事故当時における被害者の挙動について事実を誤認している点は、本件被告人の過失責任の存在と過失の内容に消長を来たすものではないが、本件事実の重要な部分に関して判断を誤つたものというべきであつて、この過誤は、被告人の過失の程度と責任の範囲とに相違をもたらす意味において、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認にあたるので、結局右の点に関する論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。よつて、刑訴法三八二条、三九七条一項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に判決をすることとする。

(罪となるべき事実)

原判決の罪となるべき事実の欄に摘示されている事実中、「折柄進路上を右から左に横断中、」とある部分を、「折からその進路上を歩行していて、」とするほか、原判決の右事実摘示を引用する。

(西川潔 杉浦竜二郎 阿蘇成人)

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